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日中文化交流杂志 和华 第25期《超越时空的遣唐使》  遣唐使群像插画

日中文化交流誌 和華 第25号 「時空を超える遣唐使」 イラスト遣唐使群像

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橘逸勢 2020 年 3 月作 30 × 40 ㎝.jpg

橘逸勢(たちばな の はやなり)(782~842年)

留学生として804年入唐、平安時代著名な書道家。空海、嵯峨天皇とともに`三筆‘と称する。

橘逸勢(西历782-842) 

804年入唐、留学生。平安時代著名書道家、空海、嵯峨天皇合称“三筆”。

橘逸勢 2020年3月作 30×40 ㎝

藤原貞敏 2020 年 3 月作 30 × 40 ㎝.jpg

藤原貞敏(ふじわら の さだとし)(807~867年) 

平安前期の雅楽師。遣唐使の准判官として838年に入唐。琵琶と楽筝の演奏が得意、日本琵琶の元祖として知られている。

藤原贞敏 (西历807年—867年)

平安前期雅乐家。838年入唐,遣唐使准判官。擅长于演奏乐琵琶与乐筝,被称为日本琵琶的鼻祖。

藤原貞敏 2020年3月作 30×40 ㎝

最澄 2020 年 3 月作 30 × 40 ㎝.jpg

最澄(さいちょう)(767~822年)

平安時代の名僧。804年に入唐、浙江省天台山の龍興寺で仏教を学び。 帰国後、比叡山延暦寺を建立、天台宗のご開祖、伝教大師。

最澄(西历767年-822年)

平安時代著名僧侶、804年入唐、浙江天台山龍興寺学法。興建比叡山延暦寺、日本天台宗開祖、伝教大師。

最澄 2020年3月作 30×40 ㎝

吉備真備 2020 年 3 月作 30 × 40 ㎝.jpg

吉備真備(きびのまきび) (695~755年)

日本奈良時代有名な学者、政治家(公卿)。遣唐使を2度務めた。交流生として 716年に入唐。遣唐副使として 751年再度入唐。 漢字の部首を使用することで日本語「カタカナ」の創立に重要な役割を果たしました。

吉备真备 (西历695-755年)

日本奈良时代的学者、政治家(公卿),曾两次出任遣唐使。716年入唐、交流生。751年入唐、遣唐副使。利用汉字的偏旁和部首曾对创制日文字母“片假名” 起过重要作用。

吉備真備 2020年3月作 30×40 ㎝

阿部仲麻呂 2020 年 3 月作 30 × 40 ㎝.jpg

阿部仲麻呂 (あべ の なかまろ) (698~770年)

留学生として717年に入唐。中国名は朝衡(又は晃衡)。長期、唐に滞在。唐の入試試験を受け、進士を受けた。唐の左散騎常侍安南都掮という官職を歴任。最も有名な日中文化交流の使者。 長安で死去。

阿部仲麻呂 (西历698-770年)

717年入唐,留学生,中国名朝衡(又作晁衡),长留大唐。后参加科举考试、高中进士、任唐左散骑常侍安南都护,中日文化交流杰出的使者。卒于长安。

阿部仲麻呂 2020年3月作 30×40㎝

弁正 2020 年 3 月作 30 × 40 ㎝.jpg

弁生(ベンせい)(生年不詳)

留学僧として702年入唐。囲碁の卓越性により、当時の皇子李隆基から称賛されました。その後、脱落者破戒僧になり、結婚し子供をもうけました。死ぬまで唐に滞在。

弁正(生年不祥)

702年入唐、留学僧。因围棋优异深受当时的皇子李隆基赏识。之后,还俗、娶妻、生子、留在唐朝直至去世。

弁正 2020年3月作 30×40 ㎝

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